好きが義務になった。

つい先日、ある一つのツイートを目にした。

 

それがこれちらのツイート

 

一年以上前のツイートなのだが、このツイートを読んで、私の中で、桜田通への"好き"が義務化されてしまっていることに気づいた。

私の場合は、新しいファンが自分よりも詳しくなって嫉妬したというわけではなく、桜田に対する『好き』が負けてしまっているような気がしたことに焦りを感じた。

私の周りに居る、ツイッターだけ繋がっていて接点も特にない友達の友達が、クズの本懐をきっかけに桜田のことを好きになった。その時点であまり良い気分はしていなかったのだが、新しくファンが増えることは桜田にとっても良い事なのでこの嫉妬心は押し込めた。しかし、毎日のように『麦くん麦くん』とツイートをしている彼女を見ていると、私はひょっとしたらこの数年、桜田を見続けるうちに桜田が好きという感情が小さくなってしまって居るのではないか、と思いはじめた。実際、そうだったのかも知れない。毎日のように桜田を見続けるうちに、良くない意味で"慣れ"てしまったような気がした。桜田を好きになり始めてすぐの頃なんかには、ブログにあげられる写真の顔をいちいち拡大して穴が開くほどに見て、桜田が写っている写真は全て保存していたしコメントも毎回して、ブログが更新されたり新しいお仕事の情報が解禁される度にツイッターで荒ぶっていた。しかし何年も見るうちに、ツイートにはすぐ反応するけれど、いいねもRTもあまりせず、写真があればパッとどんな写真かを確認して直ぐに戻る、ブログに至っては読んでいる途中で別のことをし始めてそのまま結局読まないというような事も増えてしまっていた。それでも桜田の事が好きという気持ちは確かにあったし、今でもその気持ちはある。けれど、新しいファンの熱量に、心の何処かで『勝てない』と思ったのだと思う。それを認めたくなくて、嫉妬して『桜田の事を一番好きなのは自分なのに』と友達に愚痴ったりもした。

だけど、この時からきっと私の『好き』は義務になっていて、『自分が誰よりも好きで、一番好きなのは桜田でなくてはいけない』と、勝手に苦しくなっていた。(好きな人を応援するのに、誰が一番とか無いのにね。)

仲のいい友達に、『桜田通っていう俳優が好きなの!』と言ってまわっていたから、余計に、自分は桜田を好きでいなくてはいけない、と義務に感じてしまっていたのかも知れない。

だから、金子大地に心惹かれても、『一番の推しは桜田だから!』と思うようにしていた。しかし、私は不器用な人間なので同時に複数の人に同じだけの愛情を注ぐことができない。気づきたくなかったが、桜田への思いは金子大地への思いへと移り変わり、負けていった。

 

だからといって何という話ではなく、これからも桜田の事は金子大地と共に応援していくのだが、このツイートの『好きが義務になる』という表現を見てとても腑に落ちた自分がいて、もう桜田が一番では無くなってしまった自分を何処かに書き留めたい気持ちになり、ブログを書いた。

桜田が一番でなくなってしまったことに対して、桜田に何か原因があるなんてことは一ミリたりとも無くて、新しいファンが悪いなんてことも全く無い。

 

乱雑な文でとても人が読めるものでは無いと思うが、もしも1人でもここまで読んで下さった優しい方が居るとするならば、『好きが義務になる』ことのないよう、自分のペースで、他人は気にせずに好きなものを応援して欲しいと私も思う。

嫌いになった訳ではなく、思いが冷めきってしまったわけでもない。それでも『義務』になってしまったら、『好き』で居ること自体が辛く苦しいものに変わってしまう。好きなのに好きでいると自分が嫉妬でダメになりそうで、私は桜田を一番に好きでいることを続けられなくなった。それは、嫌いになることよりも苦しくてじわじわと痛いものだから、私は2度とこんな思いをしないよう、これからは好きなものは自分のペースで焦らずに応援していこうと思う。